港町の育児備忘録

港町で子どもを育てる、忘れっぽい父のメモ帳

ついに出産

腎盂炎で早めに入院したこともあり、39週3日目から付き添い。

元々の予定日は40週ちょうどだったけど、39週で既に子宮口が3cmまで開いてたこともあり、39週5日目に前倒すことに。

当日朝から陣痛促進剤を打つものの、状況は変わらず子宮口も広がらず。

夕方、陣痛促進剤をストップして、翌日再チャレンジすることに。こちらは一時帰宅。

本人は時折少し痛そうにするものの、いたって元気。

しかし深夜にマジな陣痛が始まり、麻酔投与。子宮口も広がってきたとのこと。

翌朝また陣痛促進剤を投与するとすぐさらに子宮口が広がり、10時半ごろ分娩室へ。

直前まで会話どころか飲み食いもできる状況。

 

昔から夫婦の方針として立ち会いは絶対無しだったので、外で待機。

11時ごろ、義母と「早めに昼飯食っといたほうがいいかな」などと話し、助産師さんに話したところ、「もう産まれるからそのまま居てください!」とのこと。えっ、早くない!?

結局そのまま40分程度で無事出産。

2825gの男の子でした。

 

出産の知らせをうけて分娩室へ。

チラッと見た息子は顔が赤く手が紫色をしていました。

義母は早速孫に夢中で写真を撮っていましたが、こちらは先に妻を気遣って労ったりさすったり。

でもまだ胎盤出したり股を縫われたりしている最中…分娩室へ入れるのも早すぎませんかねw

 

その後、カンガルーケアを済ませて、初の抱っこ。どうやら分娩室から新生児下へ運ぶのは父親の役目らしい。

初めて抱っこした息子は、くっきりした目鼻立ちで、二重の目をパッチリと開け、抱く父親をまじまじ凝視してくる。「誰やねんコイツ!」と言いたげ。

あれっ、もっと生まれたての赤ちゃんって目閉じててシワシワで猿みたいな感じじゃなかったっけ!?

思ってた感じとの違いに戸惑い。

あと、包んであるタオルの角が後頭部のところにちょうどきて、百人一首の絵札に描かれた高僧のように見えた。溢れ出る大僧正ぽさ。

 

出産自体にも感動したとかは特に無く。ただただ不思議な感じ。これは後で確認したら妻とも共通認識だった。

とにかくこの日から、夫婦は両親にもなったらしい。

 

名前については候補を2つまで絞ったものの決めきれず、顔を見て決めることにしていたが、あまりにハッキリした顔立ちだったので、すんなり片方の案に決められました。

「顔見て決める」は最終手段っぽさがあったから、もしそれでも決まらなかったらどうしようかと考えてたけど、案外ちゃんと決まるもんだね。

 

その後妻は夕方には歩けるようになり、体調も元気そのもの。

妊娠、出産を通しての身体の不調は出産直前に腎盂炎で発熱したのみ、メンタルも不安定になることもなし。

昔から風邪をひくこともないし、本当に強い。ありがたいことです。

強い子に育ててくれた義母に感謝せねば。

 

というわけで、子育て生活のはじまりはじまりー